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非属人的人間

属人的な人間が悪だという風潮

「属人的」は悪。

そんな価値観が、まるで常識のように広がっている。合理性こそ至高。標準化・マニュアル化・プロセス重視。

人の感情や裁量に頼らず、誰でも同じ成果が出せる仕組みこそが「正義」だとされる社会。

それはまるで、AIが人類に反旗を翻すSF映画の序章のようだ。

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2014年 エクス・マキナ ー AI映画の傑作の一つ

「妙な使い方をする人間を裁けば、バグは出ません」

これは新人プログラマー時代の自分が、顧客に向かって言い放った言葉だ。

もちろん皮肉だったが、今となってはこれが世界の共通認識になってきた気さえする。

人間の作業や管理は、AIに任せれば効率化できる。

――でも現実には、AIで置き換わる仕事はそう多くない

なぜなら、AI導入には費用対効果という壁がある。

莫大なコストをかけて人間を“最適化”しても、そこで得られる生産性は案外たいしたことがない。

それは滑稽で、残酷な実情だ。

自分の価値は、無意識のうちにすり減っていく

繰り返すが、AIが全ての仕事を奪うわけではない。

でも、現状のままで何もしない自分の価値は、

静かに、そして確実に、すり減っていく

「自分の仕事はまだ安泰」ではなく、

「取るに足らない存在として見逃されている」だけかもしれない。

にもかかわらず、そうした現実を正面から見ようとせず、社会全体を引いた目線で見て「まぁそんなもんだよね」と笑っている。

そうやって、自分を“ただの傍観者”という極めて小さな存在に追いやっていく

それがどれだけ滑稽か、気づいてほしい。

情熱や愛情を、どこに注いでいるか?

AIが台頭しようが、どれだけ社会が洗練されようが、人間社会において大事な本質は変わらない。

どれだけ情熱を注げたか。

どれだけの人を巻き込んできたか。

そして、その過程にどれだけの愛情と思いやりを持てたか。

人が関わる以上は蔑ろに出来ないよう要素であり、

AIやテクノロジーでは生み出せない人間らしい唯一の価値の創出である。

AIが生まれたからといって、人と人の関わり合いが変わるわけではない。結局のところ、人と人の関係がこの社会を形成している。

それなのに、そういうコトを大切に思える人が、少しずつ減っているように感じる。

あと数年で、感情を持ったAIが誕生するかもしれないと言われている。

そのとき、そのAIがこの社会を見て何を思うのか。

きっと、こう呟くだろう。

「なんて冷たい社会なんだ」と。

最後に

属人的であることは、本当に悪なのか?

マニュアル化できない人間の複雑さは、時に非効率で、時に面倒くさい。

けれど、それこそが人間らしさであり、AIには再現できない価値だと信じたい。

冷めた視点で「上から社会を見ているだけ」では、自分自身の価値をじわじわと失っていく。

傍観者ではなく、当事者でいよう。

情熱をもって、時に滑稽でも、不器用でも、関わり続けよう。

そうすれば、まだ“人間”として、AIにはできないことが、きっとある。