
自分の子ども、特に最初の子どもはひときわ特別だ。
自分と奥さんの良い所、悪い所を綺麗に二等分していて、どこまでも憎めないキャラクターで家庭を翻弄する。
苛立つことも多いが、それは過去の自分をなぞらえていることが大半で、少し気をつけないと子どもは酷く傷ついてしまう。
自分が過去に出来なかったことを子どもに強いることほど酷なことはない
それなのに親は子にそれを求めてしまう。
自分自身も子どもの将来を案じて叱ることがあるが...後々思い返してみると、過去の自分のようにならないでくれという思いばかりが先行し、目の前の子どもの気持ちを考えられていなかったことに気付く。
まずはそれをなるべく抑えること。
もし、そうなってしまったのなら、後でしっかり抱きしめてあげて、その子の今を受け入れてやることを心掛けている。
自身の経験を子どもにどう活かすのか
持論として、自分が考えられる、与えられる経験や体験を余すことなく提供してあげたいと考えている。
無論、甘やかすのではなく、その子の得意・不得意、好き・嫌いを判断する材料をバランスよく用意してあげて、気づきのタイミングを早めてあげるのだ。
与える順序もタイミングも子どもの成長にあわせて考える難しさがあり、一朝一夕にはいかない。
親はどうしても最短経路でやるべきこと、やってはいけないことを子どもに強いてしまうが、それでは上手く行かない。うまく行ったと思う時もあるかもしれないが、いつか反動で返ってくるものだ。

やらせてみてその子がどう思うか
一つ一つ向き合ってあげて、好きな気持ち、嫌な気持ちに取り合う感情や精神を育んであげられたら、勉強でもスポーツでも直向きに取り組めるようになると信じている。
お父さんは一緒に釣りに行ってほしい一心だが、子どもはお父さんと一緒に過ごせるだけで満足だったりする。
釣りが好き、嫌いを迫る前に、お父さんと一緒にいて楽しかったかどうかに焦点をあわせてその子に尋ねてあげたい。
どうだろう、お父さんと一緒にいるのは楽しいかい?
...お母さんのがいい?...うーん。

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